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DATE: CATEGORY:暴君の教育論


5年前の話。

当時大学4回生
とある中学校のサッカー部のコーチをしていた。

監督から練習メニューをすべて任され
好きなように教えていた。


夏の厳しい環境の中
ダッシュ(走り込み)で
中学生にはかなり厳しい練習をさせていた。

しんどさに耐えきれなくなったのか
一人が泣き出した。

自分もしんどくて泣いた事もあるし
このチームでも誰かが泣く事は多々あった。

僕は決まって言う
暴君「何泣いてんねお前」

選手「しんどすぎて、もう何が何かわからなくて」

練習中
鬼の形相で怒鳴り散らす僕
心のケアは他の部分でしなくてはいけないのでたまに
「言いたい事があれば紙に書いて渡す」
という事をしていた。
もちろん
「口で言えるなら言え。大人になるにつれて口で言えるようになれ」
と繰り返していた。

この泣き出した選手は
入学当時の手紙にこう書いていた。

「僕はサッカーが大好きで入部しました。でも走るのが嫌いです。」

彼が練習中泣き出して
僕はどう答えれば良いのか
いくつか頭に浮かんだ

(走るん嫌ならサッカーなんか辞めてまえ)
(嫌な事もやらんとな。そうしてみんな強くなるから)
(みんな走ってるよ。チームメイトも、それこそ京都市の全チーム走ってる)



浮かんだが
何故かこう言った





暴君「俺も走るん嫌いや」





瞬間こう思った
(言うてもうたな。指導者らしくない。)
(でも人間らしくてええわ。それっぽい事なんか言うて意味あるか。)
(意味わからんやろうし人間ぶつけたろ。)

それから自分の思いと
それでも基礎体力の大事さをぶつけた

最後は

暴君「次泣いたら、俺も泣きながら一緒に走るよ」

選手「それはやめてください。てかその方が嫌っすよ(笑)」

この流れで練習に戻った。



教える側にたったらどうも
「教育者としての自分」

「人間としての自分」
という葛藤が飛び交う。

どうしても
言いたくないけど言わないといけない場面
思ってないことを言わないといけない場面
怒りたくないけど怒らないといけない場面
などがある。

僕はことごとくそれを裏切ってしまい
人間としての本音を言う傾向にある。

「こうしなさい」
ではなく
「俺はこうしてきたけど、お前はどうすんねん」
と言ってしまう事が多かった。

今の時代の教育者としては3流かもしれないけど
人間らしくていいさ。



走るの嫌いなKくん
高校最後の選手権大会頑張れよ!
あと僕の誕生日プレゼントに商品券持ってくるのやめてください。笑



それではまた~

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DATE: CATEGORY:暴君の教育論


ばんこんです。


子供の前を歩くのってどうも微妙。

こないだ横断歩道で
前を歩く親
なんとなくついていく子供

車が来るから危ないってのは
重々承知やけど

前向いてあるいて
子供から目離してたら
結局一緒ですよね。


今書いたのは方法論ですが
僕が考えるのは
「感覚的」
な話です。

(なんとなくついていく)
というのと
(自分で行くところ、行き方を選んでいる)
というのは違います。

つまり僕は

前を歩いて
「早くおいで」
よりも
後を歩いて
「早く行け」
と言ってやった方が
子供は自立すると考えます。

また今の時代に必要な
リーダーシップも
こういうところから育つように思います。

まぁこれには車などしかり
「前から危険が来た場合の事を考えなくてはいけない」のと
子供は本当に多感で色んな物に目移りしますから
「いつまでたっても目的にたどりつかない」
という事を頭に入れてあげないといけません。

だいたい6歳ぐらいから
「子供に選ばせて、困ったら親が後から助けてくれる」
という感覚は持たせたいですね。

最近の親は
○前出すぎ
○助けすぎ
○お前が主役か?
といった感じが多いですね。

教育は
○子供が主役
○親は後から(サポート)
○事象の大半は子供が自分で解決するべき

なので後について
子供にやらせる

子供だけでは絶対に困難な場合のみ
愛をもって助ける

これが理想的ですね。

このブログでは何回も言ってるけど
すぐ助けるのは愛じゃないよ。
自分が愛されたいだけ。


それではまた~

DATE: CATEGORY:暴君の教育論



朝のニュースでこんなシーンがあった。



幼稚園児が自転車でレース

コースや障害物があって関東の方ではぼちぼち大会があるみたい。

参加者は100人ぐらいかな?

優勝候補が3人いて3人ともちがう大会では優勝経験があるみたい。

そして最優勝候補が優勝。



準優勝の子がボロ泣き。

もう本当に根っから負けず嫌いっぽい感じ。

4歳であれだけ悔しがれるのかと言うほどに。



こんな子に対してどんな言葉をかければいいのか?

「あんなにたくさんいて2位でも十分すごいよ。泣く事ないよ。本当に頑張ったよ」

こんな声がかけられてたけど正しいのかどうなのか。



間違ってるとは思わないしすごく愛情を感じるけど

極端な話、子供の才能を潰してると思う。

この子を褒めてあげたいのは

「100人中で2位の事」

じゃなくて

「100人中で2位なのにボロ泣きできる事」

ではないのかと思った。



「一位目指さんかい」

っていう意味ではないです。



その子本人がやりきれていない

もしくは納得してない事を

大人が

「十分頑張ったよ」

なんて言葉をかけるのはどうなんかなって事。



逆に本人が納得してたら

めちゃくちゃ褒めていいと思います。

もしこれが100人中で10位とかであっても。



僕が言いたいのはどんなレースで

どんな結果とかじゃなくて

それが終わった後

子供が正しい事を感じていれば

「その部分を最大限引き延ばしてやる事」

じゃないのかなと言う事。



ではこれが100人中で100位だったとしましょう。


○子供が

「楽しかったからよかった」

これは楽しい部分をもっと引っ張ってやるべき。


○子供が

「勝ちたいけど自分は運動が苦手だからしょうがない」

これは勝ちたい気持ちを褒めて

諦めてる部分を叱るべき



だからこのニュースを見てて

あの小さな子の試合後に感動した反面

周りの大人の言葉に違和感を感じたかな。

もし本人が大喜びしてたらそれでよかったんですけどね。



僕に子供がいてこんな場面がきたなら

「あと1つでそんなけ悔しいって事は次は勝てそうやな。すごい事やで。」
「でも次勝てるのは泣きながら次の練習してる人だけやで」

って言いそうかな。

「2位で悔しがれるのはすごい事」

っていうのを全力で褒めてあげたい。



よく読んでくれた人はわかってくれてると思いますが

一位目指さんかい
とか
2位で満足さしたらあかんやろ
とか
そういう意味ではないです。



子供の限界や想像力は

大人にはわからない事であって

だからこそ子供の感性は

広げてやる事はあっても

限定してやってはいけないのです



まぁこんなもんに正しいはないですけど

言葉の選び方で

子供の今後を大きく左右してしまう事ってたくさんありますね。



本日もご愛読ありがとうございました。


DATE: CATEGORY:暴君の教育論



「まだ子供なんだからきつく叱ってはいけない」
というのは完全に間違い。

話したり悟してわからない子供はきつく叱るべき。

叱られない子供は

そのまま育つと

叱られても納得できない大人になる。

逆に大人は叱られて当然だが

それで納得できないなら社会不適合者となる。

子供のうちに正しく叱ってあげないから

今の社会には社会不適合者が溢れている。



「子供に罪はない」
というのも完全に間違い。

それは3歳以下の物心もついてないような子供達。

3歳以上の人間には必ず道徳心がある。

その心が歪んだら叱ってやるべき。

もちろん、その心が正しかったら褒めるべき。



大人になってから

自分のダメな部分を真直ぐ受け止めるなど

そうそうできることではない。



近くに愛する子達がいたら

叱るのは早ければ早い方がいい



問題は叱り方だ。

(怒られた)
と思うのと

(怒られて当然や)
もしくは
(やっぱり怒られたか)
と思うのは

全く違う。

それこそ、今後の人生を左右する。



叱られて気持ちの良い人間などいないが

お互いに気分の良い叱り方をしていきたい


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最近出会ったあほの高校生

大人ぶってなめた事を言い出したので

おもくそ説教してやろうと思いました。



ところが少し話し始めたら

むちゃくちゃ素直に話を聞く

素直で良い感性を持った子でした。

多分環境がこの子を狂わせたのだろう。

根は良い子というのはこういう子の事だ。



30分ぐらいキレたろかと思ったけど

どう考えても聞き分けの良い子だったので

3分もたたずに話が終わりました。



我ながら素晴らしい話をしてしまったので

マイブログで紹介してしまおう。笑笑





高校生ってのはどうも

(自分はもう大人だ)

と思いがちですね。



体はもう大人でしょう。

知識の幅で言っても

大人と同じぐらいでしょう。



いや、僕の感覚で言えば

もう最近は40代以上の大人より

そのへんの高校生の方が

知識の幅が広いんじゃないだろうか

と少し思っています。

まぁこんなもんはピンキリやし

調べなわからん事やけども。



しかし、大人の境界線はそんなところにあらず。

問題は

「自分の力で生きていけるかどうか」

という事だ。

ちょっと
バイトして
小遣い稼いで
バイク乗って

それのどこが大人やねん。

そんな事で偉くなったつもりになってる事そのものが

子供まるだしやろ。




真面目に

勉強してるか
スポーツしてるか

あんまりおすすめしいひんけど
バイトしてしっかり貯金してるか

いずれも高校卒業後につながる行動をとってる

そんな人間の方がよっぽど大人に近づいている。



別にどんな生き方をしようが個人の自由

俺はそういうのを否定するのは嫌い。

だから自由人は自由人で良いと思う。



でも子供まるだしが

大人ぶったり

親に偉そうにしたり

そういうやつは叩き潰さなくてはならない。



どうでもいいやつならほっておく。

子供のまま大人になって

勝手に社会に潰されるから。



気にかけてる子は叩き潰す。

それで大人になっても

強く生きれるから。





大人に近づいている諸君

自分でご飯食べて

自分で服買って

入れれるならいくらか親にお金入れて

お年玉はもう大人なんでもらうの恥ずかしいです

それぐらいになってやっと

大人な顔しよう



高校生でそれは無理やけど

これから少しずつね。



それに近づく気もないやつは

偉そうにするべからず。

そのままあと3年もしたら

社会に偉そうにされるよ。



こわっ





本日もご愛読ありがとうございました


DATE: CATEGORY:暴君の教育論



いい機会だからこれも書いておこう。



周りの人間にはいつも言ってるけど、

いじめが起きました。



悪いのはいじめてるやつ。

変わらなあかんのはいじめられてるやつ。



いじめっこのそこの君。

弱いものいじめは本間に良くない。

強いものにも強いなら、

弱いものにも強くていいとは思うけど、

実際問題、

自分より権力者にそれができる人間って、

皆無に近い。

ほとんど見たことない。

どこかで差がでるから、

せめて自分で差を作らないように意識しないと。

意識して差を作って、

弱いものをいじめてる君は最低だ。



いじめられてるそこの君。

何で僕が?

と思うかもしれないけど、

変わらなきゃダメだよ。

いじめっこはなかなか変わらない。

ましてや高校、大学、社会に出た時、

さらなるいじめっ子と出会うかもしれない。

君が幸せになるには、

君が強くなることが一番の近道。

そんなに簡単じゃない、

わかってる。

あんたは強いからそう言える、

わかってる。

僕だって強くなりたい、

わかってる。

それでもあえて言う。

変わらないと。





この理論は自論だ。

けっこう批判される。

でも心からこれは思う。



助けてもらえるうちに、
助けてもらわなくていいように意識しないと。

助けてもらえないようになったら、
どうしようもなくなるよ。



難しいけどね。

残念ながらいじめっこはもとより、

性格の悪い人がこの世からいなくなることはありません。

可能性0です。

悲しいけど、
嘆いても仕方なし。



いつでも自分の人生は自分が決める。





批判しないでくれ~。笑


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ばんこん。



滋賀県だかなんだかでまた訳のわからない事件が起きましたね~



Aくんがいじめられる
  ↓
Aくんの母親が大激怒
  ↓
学校に怒鳴りこみ
  ↓
担任を杖だかなんだかで叩く
  ↓
担任に土下座させる
  ↓
担任、母親を訴える
  ↓
母親捕まる



こんな感じの事件だろうか。

つっこみどころが多すぎる。



1、まずなぜ担任に怒鳴りこむ?
担任怒っといたらいじめが止むのか?

本当に子供を愛しているなら、
まず担任と話し合え。
今後どうするかが子供のためなのに、
今後をぶっこわしてどうする。



2、なぜ杖だかなんだかで叩く?
子供の仕返しか?

子供は子供の中で立場が弱いからいじめられてるのに、
大人が立場の弱い教師をいじめてどうする。



3、担任、なぜ土下座する?
その場しのぎか?

悪いと思うなら第一に変化をもたらせ。
親の機嫌をとってもいじめは止まない。

いじめ止まない
  ↓
親激怒する
  ↓
担任謝る
  ↓
いじめ止まない

なんじゃこりゃ。



4、なぜ訴える?

叩かれて土下座させられたらそりゃそうだけども。
それならなぜ謝る。

結局変化もない。
いじめもなくならない。
いじめられてる子供と母親離れ離れ。
教育になってない。

なぜ訴えるって言うか、
そこに行きつかない方法を探さないと。
言われるがままに、
なすがままに、
一番最悪なところに落ちてる。





書き方が偉そうになってしまった・・・

あまりにも子供が可愛そうや。

何でって、

この子どう考えても親にも先生にも愛されてないやろ。

しかも横との関係も上手くいってないんやから、

たまったもんじゃないよね。





同年代の一足先に親になった人達へ

子供のかわりに言いたいこと言ってやるなんて、
全然愛じゃないよ。

子供が成長するように見守るのが愛。
子供は一人では成長できないからそこだけは助けるのが愛。



助けまくるのは愛じゃない。
それは自分が愛されたいだけ。



ほったらかすのも愛じゃない。
それは自分が楽したいだけ。



大事なのは見守る根気と、
助ける勇気。



助けなかったら道を誤る、
助けすぎたら一人では生きていけない。



大事なのは見守る根気と、
助ける勇気。





本間、ええこと言うわ俺。


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自立・・・



自分で立つ・・・





数年前、とある学校の先生と酒を飲む機会があった。

先生はこう聞く。

先生「暴君、教育ってなんや?」

暴君「教育?ですか・・・?」

先生「そうや。難しく考えんでいい。お前の教育ってなんや?」

暴君「はぁ・・・」



考えたことがあるといえばそうだが、
考えたこともないといえばそうだ。

そんな難しい質問だった。



暴君「多分間違ってますが、言わせてもらいます。」

先生「うん。言ってみよう。」

暴君「僕の教育は何もしないことです。見守ることです。」

先生「え?どういうこと(笑)?」

暴君「なんて言えばいいでしょうか。正確には、何も教えなくてもその子が生きていけるようにしてやること。見守っているだけで、その子が正解を選べるようにしてやること。つまり、助けがなくても生きていけるように助けてやることが僕は教育だと思います。」

先生「ふむふむ」

暴君「はっきりいって、今の大人は子供の顔色見すぎですわ。大人なった時に、顔色見てくれる大人なんていひんのに、子供の間はわがままを許されて、わがままなまま社会にほうりだされる。現代の子供達は、失礼ですが本当にかわいそうにおもいます。」

先生「厳しいこというねー(笑)」

暴君「だいたいね、子供の顔色なんて本当は見てないんですよ。子供に嫌われたり、親に文句言われたりするのが嫌、つまりは子供じゃなくて自分の顔色見てるんですよ。終わってますわ。本間今の子らが大人なった時、心配ですわ。」

先生「なるほどなー」

暴君「僕は、自立せえってめっちゃいいます。いろいろ教えたるけど、最初だけ。一年か、二年か、長くても三年しか一緒にいれないからねって。俺の教えが心地よくても、うっとしくても、どうせ時期がくればお別れ。そんな時そうして口うるさいおっさんがいなくても、正しく進めるようにねって。」

先生「ええこと言うなー、ちょっと言い方きついけどなー(笑)」

暴君「愛してる子こそ、いっぱい怒りたいけど、あんまり教えすぎたらあかんなと思います。そうすると結局甘やかしてることにもなったりで、なんか難しいっすわ。」

先生「いいと思うぞ。そんなけ言えるやつはなかなかおらん。」

暴君「まぁとにかく僕と一緒にいる時に失敗しまくる→怒られまくる→へこみまくる→立ち上がるを繰り返して、僕と離れる時には失敗しないようになっていてほしいですね。
 そしたら僕は安心して僕の道をいけるし、その子は幸せになれる可能性が高いと思います。
 逆なんて終わってますよね。助けまくって成功させまくって俺の教育はすげー。離れてその子が失敗したらやっぱり俺がいないとダメか、俺がついてたからあいつは凄かった。みたいなね。それはお前がダメにしたんやろ。的なね。。。」

先生「いいぞそれ。お前はそれでいけ。」





自立というのものは、
対自分にしても、
対人にしても、
ずっと意識してきました。

でもこの時はっきり言葉に、理論にすることで、今の自分ができたように思います。



これが僕の自立教育のスタートラインになったように思います。




まぁ、そう言いながら結局心配性で助けすぎるようなところがありますが。笑



何が正解かわからーん。



でも今の社会の流れよりは絶対に正しいと言い切れるー。



本日もご愛読ありがとうございました。



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